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安倍政権、「日常の政策」を軽視し「お祭り政治」に明け暮れた7年のツケ(平河 エリ) @gendai_biz
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安倍政権、「日常の政策」を軽視し「お祭り政治」に明け暮れた7年のツケ(平河 エリ) @gendai_biz
しかし、よくよく思い出してほしい。「復興五輪」と銘打たれて進められていたはずの東京オリンピックは... しかし、よくよく思い出してほしい。「復興五輪」と銘打たれて進められていたはずの東京オリンピックは、いつの間にか「人類が感染症に打ち勝ったことの象徴(意味不明だが)」になっている。復興はどこに行ったのか。復興はそんなに軽いものなのか? お祭りと政治 パレードやお祭りというのは、日常から離れているからこそ、祝祭的な意味を持ちうる。 もちろん、祝祭そのものは大きな価値を持つことも多いだろう。しかし問題は、政策のなか、そして政策を取り巻く文脈のなかに祝祭が入り込んでくることだ。日々の政策というのは、お祭りから離れて評価されるべきである。我々の日常は、先に述べたような「連続性」のなかに存在し、政策とはそうした日常や生活と深く関わっているからだ。 安倍政権の問題点は、政策そのものが「お祭り」的であることだ。 安倍首相が打ち上げる花火は常に大きく、常に仰々しい枕詞が付く。そして、なぜそれが必要なのか、論