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「インディーズ芸人」の道を選んだ20代 吉本興業総合学院(NSC)を卒業後、吉本興業の舞台に上がれる芸... 「インディーズ芸人」の道を選んだ20代 吉本興業総合学院(NSC)を卒業後、吉本興業の舞台に上がれる芸人は、ごく僅かである。 ハチミツ二郎はそこからこぼれ落ちた。ただし、選ばれた同期の品川庄司と比較して、自分が負けているという感覚はなかった。その力を観客の前で、自力で示してやろうと思ったのだ。 九六年、ハチミツ二郎は曽根卍と東京ダイナマイトを結成し、大手芸能プロダクションに所属しないインディーズ芸人として舞台に上がるようになった。 「インディーズなのに五〇〇人、六〇〇人も集めていました。大川興業のライブで、三〇〇組ぐらいネタ見せやって、十組ほどが本戦に残って、観客投票で優勝が決まる。そこで優勝しました。ということは(他の芸人は)俺たちに負けている。俺たちに負けた人がどんどんテレビに出て、人気が出始めた」 一九九九年三月からNHKで『爆笑オンエアバトル』が始まっていた。 「俺たちはインディー
2020/07/01 リンク