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マンガ『BEASTARS』を多文化主義から読み解く(阿部 幸大) @gendai_biz
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マンガ『BEASTARS』を多文化主義から読み解く(阿部 幸大) @gendai_biz
リベラルがはまる「本質主義の罠」 まとめよう。『BEASTARS』の隠れた主題は治安である。ゴウヒン、現ビ... リベラルがはまる「本質主義の罠」 まとめよう。『BEASTARS』の隠れた主題は治安である。ゴウヒン、現ビースターのヤフヤ、レゴシの祖父であるゴーシャ、そしてレゴシとルイ。このマンガの主要キャラの多くは共通して、困難な「共存と共栄」を実現すべく、(非合法の)治安活動にコミットしている。 ここでも『ズートピア』とのコントラストがきわだつ。この警察官を主人公にした映画は、駐車違反から差別までの「正しくなさ」を取り締まり、世界を「正しさ」へと導く物語だった。詐欺師のニックが警察官になるという結末が象徴するように、そこでは法の勝利がハッピーエンドである。 それにたいして警察がじゅうぶんに機能していない『BEASTARS』の治安活動は、法の外部において行われる。まさしく「正しくない」領域においてこそ「正しさ」が守られているという逆説をこのマンガは描くのだ。そこではアウトロー(out-law)こそが法