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戦時下に、娯楽の検閲官は一体何をしていたか?知られざる権力の実態(金子 龍司)
戦前戦時期には、内務省や警視庁によって、文化芸術に対する検閲が広く行われていました。しかし、その... 戦前戦時期には、内務省や警視庁によって、文化芸術に対する検閲が広く行われていました。しかし、その実態には、「無理解な当局による一方的な弾圧」という一般的なイメージとは異なる側面もあったと言います。検閲はどのように行われていたのか? 日本近現代史研究者・金子龍司氏による寄稿です。 戦前の日本人は今よりも映画を見ていた? 戦前戦時期を生きた人の娯楽といえば映画であり、舞台興行であり、ラジオであり、レコードであり、読書であった。これらマス・メディアを媒介とする大衆娯楽は、都市化・産業化の進展を背景に1920年代に出現した。 受け手はサラリーマンなど当時勃興した都市部の新中間層が核となっていたが、次第に地方やより低い階層へも人気を拡大していった。 たとえば映画館は、日中戦争開戦前年の1936年時点で全国に1600超あり、映画館入場者数は2億人を超え、国民1人あたり年間鑑賞回数は3回強だったという(
2021/07/07 リンク