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日本による毒殺のうわさも立った大韓帝国皇帝・高宗100周忌:朝日新聞GLOBE+
100年前の1919年1月21日、徳寿宮で高宗皇帝(注:大韓帝国の皇帝)が67歳で亡くなった。正確な死因は明... 100年前の1919年1月21日、徳寿宮で高宗皇帝(注:大韓帝国の皇帝)が67歳で亡くなった。正確な死因は明らかになっていないが、健康だった高宗がこの日早朝、シッケ(注:朝鮮伝統の発酵飲料)などを飲んで突然倒れ、死体が異様に膨れ上がっていたという点などから、日本による毒殺ではないかという噂が広まった。 怒った民衆は、2・8独立宣言の原動力となり、高宗の葬儀(3月3日)を前に全国から集まってきた民衆が3・1独立運動に大挙して合流した。多くの若者がデモの途中で高宗の御真影がある慶応宮に集まって泣きながら独立万歳を叫んだという。日本が葬儀の列の先頭に日本伝統の祭礼服を着た人たちを立たせ、朝鮮王朝伝統の儀礼でない日本式にねじ曲げられた葬儀も、民衆の怒りを買った理由だ。 高宗の逝去は、帝国を終わらせ、民国を誕生させる起爆剤になった。2・8独立宣言、3・1独立宣言につながる精神を受け、この年の4月、中
2022/07/19 リンク