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殺人事件の巻 - 独り言
殺人事件が起きても、 なぜだか全てフィクションに思えてしまう。 小・中学生の頃に、 恐ろしいくらい推... 殺人事件が起きても、 なぜだか全てフィクションに思えてしまう。 小・中学生の頃に、 恐ろしいくらい推理小説しか読んでこなかったために、 殺人事件のニュースを聞いても、 どこか遠い世界で起きた、 フィクションの一部だとしか思えないようになってしまった。 その殺人事件の“読み手”である私にとって、 殺人事件が起きたから怖いとか、 被害者の人が可哀想だとかの感情はほとんどなく、 自然に加害者側の視点に立っていることが多い。 なぜなら推理小説で書かれるのは加害者であって、 被害者ではないからである(被害者視点で書かれている推理小説があったらぜひ読んでみたいので教えてほしい)。 最近ニュースによく挙げられる殺人事件と言えば、 京都アニメーション、 いわゆる京アニの放火殺人事件である。 男がスタジオでガソリンを撒いて火をつけただそうな。 加害者の男は今も予断を許さない状態だと聞く。 大変甚大で悲惨な事