エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
論理にねじ伏せられていく快感『そこにある山 ー 人が一線を越えるとき』 - HONZ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
論理にねじ伏せられていく快感『そこにある山 ー 人が一線を越えるとき』 - HONZ
角幡唯介の名を初めて知ったのは二〇一〇年、『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に... 角幡唯介の名を初めて知ったのは二〇一〇年、『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』を読んだ時だった。心底驚いた。探検――子どもの頃から思い描いていたイメージの探検――などというものは、すでに世の中からなくなってしまったと思い込んでいたからだ。しかし、その本には、真の探検があった。誰も踏査したことがないからというだけの理由で、命を懸けた冒険に臨む人間が同時代に生息しているということに意味もなくうれしくなった。この本、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞と、賞を総なめにしたのも当然だろう。 いきなりファンになった訳だが、同時に、こんな探検をいつまでも続けることができるのだろうかと勝手に心配していた。もはや地球上にそんな場所はほとんど残されていないのではないか。たとえあったとしても、角幡が望むような単独行動で生きて帰れる探検をできる場