エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
天皇の象徴責任論 - 内藤朝雄HP −いじめと現代社会BLOG−
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
天皇の象徴責任論 - 内藤朝雄HP −いじめと現代社会BLOG−
拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.132-135 (初出は『図書新聞』2006年9月2日号) 天皇の... 拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.132-135 (初出は『図書新聞』2006年9月2日号) 天皇の象徴責任論 前項では、プリミティヴな感情の憑依(ひょうい)の論理がそのまま、機能分化した社会に必要不可欠な普遍性や超越性に接続しうる「半」普遍・「半」超越の仕掛けとしての、アッパー系天皇を論じた。 それは列強に侵略される立場であった日本を植民地にしないために、維新エリートが民衆に撒布したいわばアッパー系のドラッグであった。この心理-社会的なドラッグはその後、(とくに昭和の初めから昭和20年代の敗戦まで)制御不能な仕方で暴走し、日本社会に壊滅的な害をもたらした。 それはかつて猛獣に狩られる立場だった人類が緊急避難のために血圧や血糖値やホルモンを急激にアップさせる適応システムが、現代人に成人病による死をもたらすのに似ている。 明仁天皇は、この(いまとなっては)百害あって一利なし