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三好義継 - Wikipedia
天文18年(1549年)、三好長慶の実弟・十河一存の子として生まれる。はじめ十河 重存(そごう しげまさ... 天文18年(1549年)、三好長慶の実弟・十河一存の子として生まれる。はじめ十河 重存(そごう しげまさ)と名乗っていたが、永禄4年(1561年)4月に父が急死すると、幼少のため伯父の三好長慶は5月1日に十河家の老臣に、7月20日に乳母にそれぞれ養育することを約束した。永禄6年(1563年)8月に従兄で長慶の世子であった三好義興が早世したため、長慶の養子として迎えられ三好姓に改めた[4]。 当時、長慶の後継者候補には他に次弟の安宅冬康やその子・信康、更に長弟・三好実休の3人の息子達がいた。長慶が三好姓で息子が3人いる実休からではなく、息子が1人しか居ない一存から養子に迎えたため、十河家は実休の次男・存保を養子に迎えなければならなくなる。何故、このような不自然な養子相続関係を結んだ上で、重存が後継者に選ばれたのかは、九条家との関係が考えられる。九条家は足利義晴、足利義輝と2代に渡って室町幕府