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伊勢貞丈 - Wikipedia
伊勢 貞丈(いせ さだたけ)は、江戸時代中期の旗本(幕臣)・伊勢流有職故実研究家。江戸幕府寄合・小... 伊勢 貞丈(いせ さだたけ)は、江戸時代中期の旗本(幕臣)・伊勢流有職故実研究家。江戸幕府寄合・小姓組蕃士。旗本・伊勢貞益の次男[1]。幼名は万助、通称は兵庫、平蔵。安斎と号した。名は音読みでテイジョウと呼ばれることもある。 伊勢氏は元々室町幕府政所執事の家柄であり礼法に精通し、江戸幕府3代将軍徳川家光の時に貞丈の曾祖父伊勢貞衡が召し出された。 享保10年(1725年)11月13日、父の貞益が享年33で死去し、12月23日に兄の貞陳が12歳で家督を相続するが、直後の翌11年(1726年)1月15日に貞陳が13歳で夭折[2]、伊勢氏は一旦断絶した。しかし、代々家流をもって仕えてきた伝統が絶えてしまうことが憂慮されたため、8月5日、貞丈に兄の旧知である相模国大住郡1000石のうちの300石が与えられ、寄合に加えられた[2]。この際、年齢は10歳であったが12歳と詐称している。 享保18年(17