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好仁村 - Wikipedia
好仁村(こうにむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。 好仁という地名は、宗仁... 好仁村(こうにむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。 好仁という地名は、宗仁村と南名好村が合併した際に両村から一字ずつ採った合成地名であり、宗仁はアイヌ語の「ソー・ウン・イ」(滝の在る所)、「ソウニ」(裸岩の在る所)により、名好は「ノア・ウシ」(ヨモギが群生している所、名好町の由来とほぼ同じ)による[2]。 現在のロシア連邦サハリン州シェブニノ (Шебунино) にあたる。 概要[編集] 間宮海峡に面し、樺太西海岸の南端に位置する村である。 1790年に松前藩が商場を設置して以来江戸時代末までは樺太の玄関口だった、シラヌシ(明治時代の南白主)のあった村である。 歴史[編集] 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、宗仁村、南名好村が行政区画として発足。本斗郡に所属し、真岡支庁本斗出張所が管轄。 1