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小川流 - Wikipedia
小川流(おがわりゅう)とは、江戸時代末期に、京都の小川可進(初代 小川後楽)(1786~1855)が開いた煎... 小川流(おがわりゅう)とは、江戸時代末期に、京都の小川可進(初代 小川後楽)(1786~1855)が開いた煎茶道の流派である。家元は代々、可進の号であった「後楽」を襲名する。 小川可進は荻野台州に医を学んで御典医をつとめたが、若いころから煎茶への関心が強く、五十歳で医業を廃して煎茶家に転じた。 日本での喫茶の歴史は古く、煎茶は文人墨客の余技として古くから親しまれてきたが、流祖小川可進は茶の真味に基づき「茶は渇を止むるに非ず、喫するなり」と主張し、もと医者であった持ち味を生かして、衛生的かつ合理的な独自の煎茶法をあみ出した。宇治を代表とする日本の茶葉に適した、日本的な煎法や新しい茶器の創案で、煎茶の世界を一新したのは、この小川可進であった。すでに述べてきたように、日本での喫茶の歴史は古く、また煎茶も当時相当広く行なわれていたが、四季の移り変わりといった自然界の諸条件や茶の本質的な究明に基づく