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小笠原貞宗 - Wikipedia
正応5年(1292年)4月12日、信濃国松尾(現・長野県飯田市)に生まれる[5]。ただし、信濃国の小笠原氏の... 正応5年(1292年)4月12日、信濃国松尾(現・長野県飯田市)に生まれる[5]。ただし、信濃国の小笠原氏の本拠地とされる伊賀良荘は鎌倉幕府滅亡後に恩賞として貞宗に与えられたと考えるのが近年の有力説[6]であり、幕府滅亡前に小笠原氏の本拠地があったとされる甲斐国巨摩郡出身の可能性もある。 北条貞時から偏諱(「貞」の字)を受けて[注釈 1]、貞宗と名乗っていることから明らかであるように、当初は鎌倉幕府に仕えていた。 元弘元年(1331年)からの元弘の乱では新田義貞に従い、足利尊氏(高氏)らとともに後醍醐天皇の討幕運動を鎮圧に加わり、北条貞直に属して楠木正成の赤坂城を攻めた(『光明寺残篇』)。 元弘2年/正慶元年(1332年)9月、北条高時が京へ派遣した上洛軍のなかに、小笠原彦五郎(貞宗)の名がある[8]。 建武元年(1333年)5月、高氏が鎌倉幕府に反旗を翻すとこれに従い、鎌倉の戦いに参加し
2018/12/13 リンク