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平山常陳事件 - Wikipedia
平山常陳事件(ひらやまじょうちんじけん)は、1620年(元和6年)に堺の平山常陳が船長をつとめる朱印船... 平山常陳事件(ひらやまじょうちんじけん)は、1620年(元和6年)に堺の平山常陳が船長をつとめる朱印船が2名のキリスト教宣教師を乗せてマニラから日本に向かっていたところを、台湾近海でイギリスおよびオランダの船隊によって拿捕された事件。江戸幕府のキリシタンに対する不信感を決定づけ、元和の大殉教といわれる激しい弾圧の引き金となった。 経緯[編集] 当時、江戸幕府は将軍の名による朱印状を発給することで朱印船に保護を与えていたため、多くの朱印船が東アジアの海上を活発に往来していた。その一方で同海域において、従来のスペインやポルトガルが保持してきた覇権を奪取しようと、新興のイギリス・オランダといった国々が艦船を投入し、互いにしのぎを削っていた。 マニラを出航して日本に向かっていた平山常陳の朱印船がイギリス・オランダの船隊によって拿捕されたのは、このような状況下においてであった。朱印船には日本人船員の