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東郷重位 - Wikipedia
東郷 重位(とうごう ちゅうい / しげかた)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・剣豪。島津氏... 東郷 重位(とうごう ちゅうい / しげかた)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・剣豪。島津氏(薩摩藩)の家臣。示現流剣術の流祖。通称は藤兵衛、のち長門守、和泉守、越前守[2]、肥前守を名乗った。諱の重位は、示現流では口伝では「ちゅうい」とする。 経歴[編集] 永禄4年(1561年)、瀬戸口重為の三男として誕生した。瀬戸口氏は北薩の土豪・東郷氏の遠戚にあたり、同時代の史料には瀬戸口藤兵衛または瀬戸口肥前守の名で記されることがある。天正年間に兄の重治とともに東郷氏嫡家17代目東郷重虎の許可をもらい、東郷氏に復した[3]。なお、外孫で古示現流開祖の種子島時貞の系図『種子島氏支族美座対馬守時里二男国上氏系図』(「伊地知季安著作集三」の『諸家系図文書四』の史料)では「東郷肥前重信」と表記されている。 若い頃はタイ捨流を学んだ。薩摩国の大名・島津氏に仕え、天正6年(1578年)11月の大友氏
2020/04/01 リンク