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稲垣浩 - Wikipedia
稲垣 浩(いながき ひろし、1905年(明治38年)12月30日[1] - 1980年(昭和55年)5月21日[1])は、日本... 稲垣 浩(いながき ひろし、1905年(明治38年)12月30日[1] - 1980年(昭和55年)5月21日[1])は、日本の映画監督、脚本家、俳優。本名:稲垣 浩二郎。戦前期に伊丹万作、山中貞雄らと時代劇の傑作を生み出し、日本映画の基礎を作った名監督の一人である。チャンバラに頼らない時代劇を作り「髷をつけた現代劇」と呼ばれた。生涯で100本の映画を撮り、海外での評価も極めて高い。 経歴[編集] 子役時代の稲垣浩 東京本郷区駒込千駄木町(現・文京区千駄木1丁目)[1]に、父は新派俳優・東明二郎の息子として生まれた。母の病気のために小学校を一年でやめ、7歳から東明浩の芸名で子役となり舞台に立つ。8歳の時に母が亡くなり、父と共に旅公演に出たが、この間に独学で読み書きを覚え、小説家、劇作家を目指すほどの読書家となる。『カルメン抜粋曲』を聞いて以来、浅草金龍館のオペラファンとなり、戯曲の執筆をは