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鍋島直正 - Wikipedia
鍋島 直正(なべしま なおまさ、文化11年12月7日〈1815年1月16日〉- 明治4年1月18日〈1871年3月8日〉)... 鍋島 直正(なべしま なおまさ、文化11年12月7日〈1815年1月16日〉- 明治4年1月18日〈1871年3月8日〉)は、江戸時代末期の大名。肥前佐賀藩10代藩主。9代藩主・鍋島斉直の十七男。母は池田治道の娘・幸。正室は徳川家斉の十八女・盛姫(孝盛院)、継室は徳川斉匡の十九女・筆姫。明治維新以前の諱は斉正(なりまさ)。号は閑叟(かんそう)。「佐賀の七賢人」の一人。 経歴[編集] 文政10年(1817年)、将軍・徳川家斉から松平姓を与えられた[1]。天保元年(1830年)、父・鍋島斉直の隠居を受け17歳で第10代藩主に襲封。将軍・家斉の偏諱を与えられ斉正と名乗る。当時の佐賀藩は、フェートン号事件以来長崎警備等の負担が重く、さらには先代藩主・斉直の奢侈や、2年前のシーボルト台風の甚大な被害もあって、その財政は破綻状況にあった。斉正自身が江戸藩邸を佐賀に向けて出発するやいなや、藩に貸付のある
2016/06/23 リンク