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JR東海八事球場 - Wikipedia
1978年に撮影された球場の航空写真。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基... 1978年に撮影された球場の航空写真。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 「センバツ発祥の地」の碑(2016年5月) JR東海八事球場(ジェイアールとうかい やごときゅうじょう)は、かつて愛知県名古屋市昭和区にあった野球場。東海旅客鉄道(JR東海)が運営管理を行っていたが、1990年(平成2年)限りで閉鎖、撤去された。 歴史[編集] 1922年(大正11年)、当時の名古屋市中区広路町地内に、中区末広町で運動用具店を営んでいた富豪の山本権十郎が私費を投じて独力で建設した。総面積は約2,800坪、当時の収容人員は約2,000人。左翼側が狭く、右翼側が広いという変則的なフィールドだったものの、名古屋市内では初の本格的な野球場だった。野球場名は山本の姓から山本球場(やまもときゅうじょう)と命名された。また周辺には山本球場の他にも、市内の学校や企業が野球場やグラウ
2018/06/15 リンク