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ドテ焼きとホルモンに見る日本の付加価値 素材に価値がなくても知恵と労働で「うまいもん」作る大阪 | JBpress (ジェイビープレス)
そもそも大阪ミナミ、天王寺の茶臼山エリアが「新世界」と呼ばれるようになったのはそんなに古いことで... そもそも大阪ミナミ、天王寺の茶臼山エリアが「新世界」と呼ばれるようになったのはそんなに古いことではないようです。 もともと「茶臼山」は古墳か何かだったらしく、大阪中心部を背骨のように走る「上町台地」の中でひときわ高くなっているのが北の端の「(旧)石山」と南、天王寺近辺の茶臼山になります。 この北の「石山」が浄土真宗本願寺中興の祖、蓮如が隠居所としたのがきっかけで「石山本願寺」となるわけです。 ついで織田信長との「石山合戦」の末和議を結んで真宗が退去、本能寺で信長が亡くなったのち、豊臣秀吉が城に改めたのが「大阪城」。さらに秀吉が亡くなったあと、この大阪城の堀を埋めさせ、最終的に勝利を収めたのが徳川家康というわけです。 さて、この豊臣氏と家康が戦った大阪冬の陣で、家康が本陣を置いたのが、南にひときわ高く盛り上がっていた茶臼山なんですね。当時、どんな地形だったのか、大体のことが見えるような話です
2011/10/21 リンク