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宮本顕治、伊藤律、袴田里見…日本共産党100年、カメラマンが見た幹部の貌 【蔵出し写真】闘争を生き抜いた男たちの姿にはそれぞれの覚悟が漲っていた | JBpress (ジェイビープレス)
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宮本顕治、伊藤律、袴田里見…日本共産党100年、カメラマンが見た幹部の貌 【蔵出し写真】闘争を生き抜いた男たちの姿にはそれぞれの覚悟が漲っていた | JBpress (ジェイビープレス)
日本共産党が成立してから今年でちょうど100年になる。外国通信社などで活躍してきたカメラマンの橋本昇... 日本共産党が成立してから今年でちょうど100年になる。外国通信社などで活躍してきたカメラマンの橋本昇氏その歴代幹部を取材してきた。その橋本氏が撮影当時のエピソードを回想しつつ、日本共産党の歴史を振り返った(JBpress編集部)。 革靴にステッキで散歩する宮本顕治 (フォトグラファー:橋本 昇) 多摩川の土手を散歩する宮本顕治共産党議長(当時76)は堂々たる風貌だった。厚手のコートに帽子というその姿は、モスクワの赤の広場に立つソビエト共産党の政治局員を彷彿させた。私は宮本に声をかけ、目の前まで行ってカメラを構えた。1985年3月のことだ。 「ミヤケンさん! お元気そうですね」と、おそるおそる声をかけると、「うん」という力強い声が返ってきた。重く威厳のある声だったが、不思議と親しみを感じた。 宮本は1908年、山口県に生まれた。東京帝大在学中から文筆活動に励み、1929年、芥川龍之介の死を評