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通勤電車で読んでた『建築家として生きる』。 - クリッピングとメモ
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建築家として生きる――職業としての建築家の社会学 (関西学院大学研究叢書 第 222編) 作者:松村 淳晃洋書... 建築家として生きる――職業としての建築家の社会学 (関西学院大学研究叢書 第 222編) 作者:松村 淳晃洋書房Amazon建築家というのがどんな人なのか、知ってるようで知らないわけである。たとえばマイホームを持とうと思っても、テレビで宣伝してるなんちゃらホームとかのハウスメーカーの作る家を買ったりすると、それは建築家の設計した家ではないことになるらしい。また、工務店にお願いして大工の棟梁に建ててもらってもそこには建築家はいないらしい。建築家、というのは、自分の名前で設計して建築物を「作品」として作るひとのことのようなのだ。なるほどそれなら自分には縁がないだろうなあと思う。自分が毎日生活して人生を生きるのに何が悲しくて他人の「作品」の中で暮らさなくてはならないのか、と思わなくはないけれど、まぁ好き好んで誰かの「作品」の中で暮らしたい、そのために金を払いたい、という人たちが世の中にはいるとい