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昔は人気がなかった“暴君”信長 呉座勇一「戦国武将、虚像と実像」 | カドブン
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第三章 織田信長――革命児だったのか? 第一節 近世の織田信長像 儒学者に批判された織田信長 現在、日... 第三章 織田信長――革命児だったのか? 第一節 近世の織田信長像 儒学者に批判された織田信長 現在、日本で人気がある歴史上の人物と言えば、織田おだ信長のぶながと坂本さかもと龍馬りようまが二大巨頭だろう。信長には残虐なイメージもつきまとうが、そうした欠点を補って余りある革新者としての魅力が広く認識されている。 ところが、江戸時代における織田信長の評価は、総合的にはむしろマイナスであった。本連載で縷々るる指摘してきたように、江戸時代には儒教が基本的価値観を形作っていたからである。 小瀬おぜ甫ほ庵あんの『信長記しんちようき』(一六一一年頃成立、以下『甫庵信長記』と略す)は、織田信長は知勇兼備の名将で私利私欲に走らず、人を見る目があったと評価する一方で、「武道のみを専らに用い」て文を疎おろそかにした、家臣に対して酷薄であった、家臣の諫言かんげんを受け入れなかったことを批判する。儒教における理想的政