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水害で不通になる前から悲惨な状況だった三江線で考えてみる。その2 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
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昨日の「水害で不通になる前から悲惨な状況だった三江線で考えてみる。その1」の続きです。 鉄道事故調... 昨日の「水害で不通になる前から悲惨な状況だった三江線で考えてみる。その1」の続きです。 鉄道事故調査委員会の報告書で見る三江線の実態 さて、三江線がガタガタになった原因はどこにあったのか。2004年6月にあった「三江線 川戸駅〜田津駅間 列車脱線事故」の報告書を見てみよう。http://araic.assistmicro.co.jp/araic/railway/report/RA05-4-3.pdf 作成したのは鉄道事故調査委員会。尼崎の脱線事故で話題になったという組織である。 事実関係をまとめると、こんな感じか。 2004年6月22日16時50分、三江線川戸駅〜田津駅間(江津駅起点16k350m付近)で、川戸駅を出た453Dキハ120が、45km/hで走行中、80m前方に落石を発見。サイズは中サイズの段ボール箱ぐらい。非常ブレーキを使用したが間に合わず、列車は脱線。乗客27名及び運転士に