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宇多田ヒカル 『COLORS』 - KGV’s diary
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宇多田ヒカル 『COLORS』 - KGV’s diary
吉本隆明 『共同幻想論』 わたしのかんがえでは<巫女>は、共同幻想をじぶんの対なる幻想の対象にでき... 吉本隆明 『共同幻想論』 わたしのかんがえでは<巫女>は、共同幻想をじぶんの対なる幻想の対象にできるものを意味している。いいかえれば村落の共同幻想が、巫女にとっては<性>的な対象なのだ。巫女にとって<性>行為の対象は、共同幻想が凝集された象徴物である。<神>でも<ひと>でも、<狐>とか<犬>のような動物でも、また<仏像>でも、ただ共同幻想の象徴という位相をもつかぎりは、巫女にとって<性>的な対象でありうるのだ。 宇多田ヒカルの歌はラブソングでありながらも、性的な対象が常に世界全体と入れ換わりうる構造を持っている。吉本の『共同幻想論』における巫女論にしたがえば、それは「巫女の歌」ということになるが、今やほとんど不可能になった共同幻想と対幻想の交換を、歌うという行為において可能にしつつ、幻想の外部を露出させたのが『COLORS』である。 『COLORS』の詩の解明 ミラーが映し出す幻を気にしな