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スピッツという故郷について、時処位論より考える - 徒然雑草
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スピッツという故郷について、時処位論より考える - 徒然雑草
陽明学だったろうか、「時処位の論」という考え方がある。 孔子だ老子だ孟子だと、聖人と言われる人々が... 陽明学だったろうか、「時処位の論」という考え方がある。 孔子だ老子だ孟子だと、聖人と言われる人々がいるわけだが、現在、彼らの言動をまるまる真似したところで、それは意味ないよね。時と場所と立場によって聖人たる振る舞いの方法は変わってくるよね。 まぁつまり、大賢人の物言いをうまく自分と時代に落とし込んでいきましょうということらしい。こんなことを、陽明学者のなんとかって人が説いている。詳細が思い出せないのが酷く悔しい。 大賢人の素行を真似するのはもちろんなのだが、そこまで大層な話でなくとも、僕らは知らぬ間に歳を食って、青春時代に熱を上げていたことが今や全く興味ないみたいなことが平気で起こる。ある種の時処位である。とびきりの集中を生みたい時に、あるときはゲームに向き合っていたはずなのに今はパソコンになってる。とか。時処位だ。 音楽もそうで、BUMP OF CHICKENとかビートルズとかRADWI