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吉田 与三右衛門 よしだ よそうえもん - 戦国日本の津々浦々 ライト版
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吉田 与三右衛門 よしだ よそうえもん - 戦国日本の津々浦々 ライト版
石見銀山開発初期の大工。元は出雲国の鷺銅山の採掘に従事していたとみられる。大永七年(1527)三... 石見銀山開発初期の大工。元は出雲国の鷺銅山の採掘に従事していたとみられる。大永七年(1527)三月、吉田藤左衛門、於紅孫右衛門とともに三島清右衛門に同行して石見銀山に入る。その後、於紅孫右衛門が横死し、吉田藤左衛門も没落した為、銀山ただ一人の大工となった。 石見銀山初期の大工三人頭 周防大内氏への接近 ただ一人の銀山大工 「浄心院姓名録」 参考文献 石見銀山初期の大工三人頭 16世紀末に成立したとみられる覚書である「石州仁万郡佐摩村銀山之初」と「おべに孫右衛門ゑんき」には、16世紀前半の石見銀山の歴史が記されている*1。 これらによると、大永七年(1527)三月、出雲国田儀浦の三島清右衛門が出雲国杵築の鷺銅山より吉田与三右衛門、吉田藤左衛門、於紅孫右衛門の3名の大工を連れて石見銀山に入山し、銀を入手したという。 kuregure.hatenablog.com 当初は上記の吉田与三右衛門、吉