エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
萱野稔人、国家って不滅なのか、佐藤優も、 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
萱野稔人、国家って不滅なのか、佐藤優も、 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
マル激トーク・オン・ディマンドの第320回(2007年05月18日) 『フランス大統領選が露呈したグローバル... マル激トーク・オン・ディマンドの第320回(2007年05月18日) 『フランス大統領選が露呈したグローバル化の現実』ゲスト:萱野稔人氏(津田塾大学国際関係学科准教授) は面白かったです。前半は少し遠い話ですが、 後半は赤木和智氏の「『丸山眞男』をひっぱたきたいー三十一歳、フリーター。希望は、戦争。」(『論座』07年1月号)について、萱野さんが、赤木さんの真意は単にカネの問題ではなく、「社会的承認の問題」で、4月号の七人の論者の応答文はそのあたりのことがズレていて、「社会的に承認されている人たち」が、「社会的の承認されていない人たち」に対して蘊蓄、政治的正義を語る説教に赤木さんはイラだったと言うことなんでしょうと、言っていましたが、 僕もこの辺りのことは過去エントリーで触れていますが、その通りだと思う。 でも、何故、「七人の論者たち」が、どうしてそのような物言いになってしまうのか、そのこと