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日本における元寇の評価に関する私見 | 散歩道
jpn1rok0氏のスレ 日本における元寇の評価に関する私見 我々日本人は、元寇について「日本軍は2度の元... jpn1rok0氏のスレ 日本における元寇の評価に関する私見 我々日本人は、元寇について「日本軍は2度の元軍による侵攻において、優勢な元軍の攻撃で苦戦したが、偶然の台風によって蒙古軍の軍船が破壊されたために助かった」という話を必ず聞かされる。そして、多くの者がそのように信じている。この説は、八幡愚童訓という日本の元寇の記録が出典となっている。この八幡愚童訓は、14世紀初頭(成立年代及び成立過程については諸説有り)、筑紫(現在の福岡県)の高良大社という神社の社人が京都に出向き、記録させた八幡信仰の布教用の書物であって、この書物に八幡神が起こした台風が蒙古軍を退散させた主因であると書かれているのである。 一方、敵である高麗の記録「高麗史 金方慶伝」には台風が敗北の主要な原因とは書かれておらず、第一回目侵攻(文永の役)においては、蒙古・高麗軍は奮戦したが、形勢は不利であり撤退を決定して船に乗り込