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【地元PV】東京 八王子「2千人で 2万人の軍勢から守り切った滝山城址」 - Local.Link.Lead
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【地元PV】東京 八王子「2千人で 2万人の軍勢から守り切った滝山城址」 - Local.Link.Lead
今回は滝山三城と呼ばれる多摩川と秋川手前の加住丘陵上に存在した三つの城(高月城、根小屋城、滝山城)... 今回は滝山三城と呼ばれる多摩川と秋川手前の加住丘陵上に存在した三つの城(高月城、根小屋城、滝山城)の一つである【滝山城】をご紹介します。 こちらの滝山城は、室町時代1521年に多摩一帯を治めていた大石氏によって築城されたとされていて、後に小田原から攻めてきた北条氏の支城となりました。 その後、山梨を治めていた甲斐の武田氏からの侵攻を受ける際の守り砦としての役割を果たしたとされ、東西約900mに及ぶ滝山城はその特殊な自然地形を活かし、1569年頃に武田信玄率いる役2万の軍勢から、2千人の北条勢で守ったとされています。 地の利を活かした曲輪(ぐるわ)や堀が多くあり、敵の侵攻から守るための工夫が多くされているため、今でもその名残が多く残っています。 そんな歴史がある滝山城ですが、現在では多摩の丘陵沿いに点在する「かたらいの路」の一つして整備されており、春には山桜、秋には紅葉の名所とも知られており