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愛・蔵太の少し調べて書く日記:笹幸恵氏は「文藝春秋」2005年12月号で「バターン死の行進」をどのように書いて、どのように生存者(レスター・テニー氏)は抗議したか(その3)
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これは以下の日記の続きです。 →http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060501#p1 最初から読みたい人は... これは以下の日記の続きです。 →http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060501#p1 最初から読みたい人はこちらから。 →http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060430#p1 今日もコツコツと、「「バターン死の行進」女一人で踏破」(笹幸恵・文藝春秋2005年12月号)の引用を続けます。 今日は地図があったほうがいいと思うので、少し見にくいとは思いますが張ってみました。 オリジナルの大きい奴は、以下のところにありますので、テキスト読むときの参考にでもしてみてください。 →WQ 6 BDM Map この地図の「Mariveles」から「Balanga」あたりまで、今日のテキストでは笹幸恵さんは歩いたことになります。 それでは、引用をはじめます。 気温三十八・九度、三万六千歩 午前九時すぎにマリベレスのスタート地点に到着