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余録:若き羽生善治さんが晩年の大山康晴十五世名人と初めて対戦したのは… | 毎日新聞
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余録:若き羽生善治さんが晩年の大山康晴十五世名人と初めて対戦したのは… | 毎日新聞
若き羽生善治(はぶ・よしはる)さんが晩年の大山康晴(おおやま・やすはる)十五世名人と初めて対戦し... 若き羽生善治(はぶ・よしはる)さんが晩年の大山康晴(おおやま・やすはる)十五世名人と初めて対戦したのは1988年の王将戦の予選だった。午前中は東京の将棋会館で指し、午後から青森へ移動しての公開対局という前代未聞の対局だった▲評伝「大山康晴の晩節」を書いた河口俊彦(かわぐち・としひこ)さんによれば大山の考えた仕掛けで、羽生さんの将来を見抜いてファンに紹介したかったようだ。ただすぐに別の対局をひかえていた羽生さんにはつらい移動で、青森対局は大山が圧勝した▲「大山先生が盤の前で座っているだけで威圧感を覚えた」とは羽生九段の回想だ。「人は必ずミスをする」。それを前提に、人間的な迫力で相手を操る大山将棋の強さだった。心理的駆け引きが今よりずっとものをいった時代という▲その大山十五世名人が69歳で亡くなるまで積み重ねた記録を抜き、羽生九段が将棋界で歴代最多の1434勝を48歳で達成した。その間、史上初