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月議:水俣病と向き合った医師=下桐実雅子 | 毎日新聞
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月議:水俣病と向き合った医師=下桐実雅子 | 毎日新聞
<getsu-gi> おなかの赤ちゃんに酸素や栄養を送る胎盤は、胎児を守る「関所」のようなもので、容易に... <getsu-gi> おなかの赤ちゃんに酸素や栄養を送る胎盤は、胎児を守る「関所」のようなもので、容易に毒物を通さないと信じられていた。だが、有毒な化学物質が、胎盤とつながるへその緒を通じて胎児の体に入り、健康被害をもたらす悲劇が起きた。水俣病だ。 水俣病は1956年に公式確認された。熊本県水俣市の海岸地域では、魚を多く食べる漁民らに「歩けない」「言葉が出ない」といった症状が多発していた。流産や死産が頻繁に起き、脳性まひのような症状の子どもも目立っていた。 こうした子に「胎児性水俣病」という診断名が付いたのは、62年のことだ。行政はなかなか認めようとしなかったが、熊本大が患者の遺体を解剖し、メチル水銀が母親から胎盤を経由して子どもに影響を及ぼしたと判断。県の審査会は16人を胎児性患者と認定した。