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「岡野王国」絶頂期に起きたスルガ銀労働組合の分裂 | スルガ銀行 不正の構図 | 編集部 | 毎日新聞「経済プレミア」
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「岡野王国」絶頂期に起きたスルガ銀労働組合の分裂 | スルガ銀行 不正の構図 | 編集部 | 毎日新聞「経済プレミア」
スルガ銀行のルーツ(4) 銀行界では前代未聞の「頭取退陣要求」が掲げられた駿河銀行(現スルガ銀行)... スルガ銀行のルーツ(4) 銀行界では前代未聞の「頭取退陣要求」が掲げられた駿河銀行(現スルガ銀行)の労使紛争から6年がたった1983(昭和58)年。煮え湯を飲まされた形の経営側は驚くべき行動をとる。労働組合の分裂である。 3代目頭取の喜一郎はその2年前の81年に頭取を弟に譲り、会長となっていた。なぜ頭取を譲ったか。当時は「体調」が理由とされた。だが、一部支店で「歩積(ぶづ)み両建て」と呼ばれる過度の預金の拘束行為が発覚し、大蔵省にトップとして責任をとらされたという説がある。「銀行労働調査時報」(83年11月)で金融評論家が「大蔵省が一切公表していないのでその真偽は不明」としつつ紹介している。 喜一郎が会長になったとき、長男、光喜は36歳で常務取締役だった。会長、頭取、常務という役職を一族が握る「岡野王国」であり、喜一郎が会長として実権を握っていた。