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陰徳と陰美。ナルシシズムと真の賛美について。そして「ふるさと納税」の命名が秘めているさもしさ、について。 - 夢見るように、考えたい
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陰徳と陰美。ナルシシズムと真の賛美について。そして「ふるさと納税」の命名が秘めているさもしさ、について。 - 夢見るように、考えたい
陰徳、という考え方がある。 この考え方について考えてみると、道徳とか徳、ではなく、人間の弱さへの深... 陰徳、という考え方がある。 この考え方について考えてみると、道徳とか徳、ではなく、人間の弱さへの深い理解が底にあるようだ。 徳を人知れず行え、という。これはつまりは功利的な考えなのだ。 情けは人の為ならず、の本来の意味(最近は「情けをかけては他人のためにならない」とこの箴言を解釈する向きもあるようだが)と同じく、 徳を人に見せるように行うことの「さもしさ」に、 人はすぐに陥ることをいさめることばであろう。 誇ること、のさもしさ。 財を誇る=さもしい。 同じく、ただ天の配分(つまりは単なる偶然)で得た美を誇ることも同じく、 さもしいかもしれない。 だが、偶然(天才、というのもこれと同じで、真の天才はそのことも合わせ認識しており、それが真の天才か否かを判断することが出来る場合がある。ジャンルにより自然と顕在してしまうことがおおいかもしれないが)得たものである「美」をいつくしみ、玉を磨くがごとく