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お大師さまが生きた平安時代には官学(かんがく:今でいう国立)の 大学寮(だいがくりょう) という官... お大師さまが生きた平安時代には官学(かんがく:今でいう国立)の 大学寮(だいがくりょう) という官吏養成(かんりようせい:今の国家公務員養成)のための学校がありましたが、ここに通えるのは皇族、貴族の男子のみといった特権階級にある人だけでした。 また、地方には 国学(こくがく) というものも置かれましたが、これは地方官僚養成のための学校で、こちらも地方の豪族など、権力を持っている子弟のみが通える学校でした。 お大師さまは天長5年(828年)に 綜芸種智院(しゅげいしゅちいん) という学校を開き 向上心がある人なら身分に関係なく誰でも自由に学べる所 とされました。 綜芸種智院の『綜芸(しゅげい)』とは、いろいろな学問を綜(そう)べ学ぶ、つまり 総合的に学ぶ ことであり、『種智(しゅち)』は 仏さまの智慧(一切智智:いっさいちち)を植える ことを意味しています。 お大師さまは綜芸種智院を作るにあ
2020/07/11 リンク