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袁術の挙兵 - 思いて学ばざれば
後将軍号の来歴、袁紹との関係について。 蜀の劉備は入蜀以前からずっと左将軍の印綬を持ちつづけていた... 後将軍号の来歴、袁紹との関係について。 蜀の劉備は入蜀以前からずっと左将軍の印綬を持ちつづけていた。この左将軍号は呂布を討った功績を認められ、呂布が帯びていた印綬を授かったものだ。呂布が平東将軍を経て左将軍を拝命したのは、元の左将軍である袁術を撃った功績からだ。袁術を左将軍に就けたのは李傕政権だが、それ以前、袁術は後将軍を号していた。この後将軍号はどこから来たのか。 袁術伝には「董卓が廃立しようと企てて袁術を後将軍としたが、袁術は董卓の災禍を恐れて南陽に出奔した」とある。袁術はその後も後将軍号を帯びているので、この任命そのものは忌避していなかったということだろう。 もともと大将軍や車騎将軍、四方将軍などは格別の重みをもつ将軍号であり、外戚でもないかぎり、一般人が就任できるような容易い地位ではなかった。ただ、漢末の混乱期にはその原則も崩れつつあり、黄巾の鎮圧で名を挙げた皇甫嵩が車騎将軍に昇っ