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【光る君へ】藤原伊周・隆家兄弟が花山法皇に矢を射た事件の経緯とは(渡邊大門) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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【光る君へ】藤原伊周・隆家兄弟が花山法皇に矢を射た事件の経緯とは(渡邊大門) - エキスパート - Yahoo!ニュース
今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原伊周・隆家兄弟が藤原道長に敵対心をあらわにしていた。その挙... 今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原伊周・隆家兄弟が藤原道長に敵対心をあらわにしていた。その挙句、2人は花山法皇に矢を射るという、前代未聞の大事件をやらかしてしまった(長徳の変)。その背景や経緯について、詳しく見ることにしよう。 藤原伊周・隆家兄弟は、摂政・関白を務めた道隆の子である(母は高階貴子の娘)。伊周には道頼、道親という2人の兄がいたが、道隆が高階家を重視していたこともあり、早くから伊周は後継者の候補として扱われていた。たしかに、伊周は母の文才を受け継ぎ、教養豊かな人物だったと伝っている。 伊周が後継者の有力な候補だったことは、その猛烈な出世ぶりから明らかである。伊周は寛和元年(985)に元服すると、従五位下に叙された。以後、伊周の出世は順調で、正暦元年(990)に道隆が摂政になると、蔵人頭に任じられた。 その翌年に参議になると、従三位・権中納言から正三位・権大納言に短期間で昇進