エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
こじつけの逮捕、女性3人が連座した「浪曼事件」 絢爛たる娘時代一変 | 47NEWS
北林透馬宅での令女純情連盟の集まり。前列右から3番目が篠原あや、前列右端が透馬の妻で劇作家の北林... 北林透馬宅での令女純情連盟の集まり。前列右から3番目が篠原あや、前列右端が透馬の妻で劇作家の北林余志子、中央後ろに立つ男性が透馬=1936年2月 太平洋戦争開戦前夜の1941年11月、横浜の文芸雑誌『浪曼(ろまん)』の同人たちが治安維持法違反容疑で特高警察に大量検挙された。「浪曼事件」と呼ばれ、女性3人も連座した。『浪曼』を率いた作家・望月義の妻、たか子(旧姓・沢野)、新劇俳優で銀行に勤めていた小笠原静子、詩人の篠原あや(1917~2016)である。(女性史研究者=江刺昭子) 当事者たちの証言や記録が少なく、事件の詳細は不明だが、篠原あやは戦後、1966年から67年まで『横浜詩人会通信』に連載した「私の周辺」と題する原稿で、自身の体験を克明に書き残している。 篠原あやは戦後のペンネームで、本名は田中静子(結婚後の姓は「吉田」)。女学校卒業後、愛読していた雑誌『令女界』に投稿を重ね、35年秋
2021/07/28 リンク