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家康はなぜ熱海の湯を愛したのか?|こういち
実家帰りに、たまに立ち寄る「熱海駅前温泉」、駅から徒歩2分、やや緑がかったナトリウム・カルシウム―... 実家帰りに、たまに立ち寄る「熱海駅前温泉」、駅から徒歩2分、やや緑がかったナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉かつ高温で、熱海の山側の温泉で、お気に入りのお湯です。 さて、熱海駅前には、昔下記のよう間歇泉のモニュメントがあり、人工的に噴き出していました。足湯は今でもあり、これは「家康の湯」と銘打ち、家康が1604年に湯治に来て400年を記念して造られました。家康が熱海を愛しており、江戸に湯を運ばせるほどだったのは周知のとおりですが、よくよく考えてみると、なんでこんなに家康は熱海が好きだったのかと、ちょっと深堀りしてみました。 今は無き間歇泉のモニュメント東海道の途中だから?自分の親族が、たまたま三河、甲斐、伊豆といるからか、徳川、武田、北条とこのあたりの戦国武将は何かと気になるのでした。江戸に来てから、東と西を行き来したし、東海道の途中だし、それこそ何度か立ち寄ったんでしょう、なんて