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ファクトチェック:トーマス・ロックリーは「日本が黒人奴隷を生んだ」とは書いていない……が|Prof. Nemuro🏶
ロックリーの偽史騒動に尾鰭が付いてしまっているようなので、黒人奴隷について2017年の著書『信長と弥... ロックリーの偽史騒動に尾鰭が付いてしまっているようなので、黒人奴隷について2017年の著書『信長と弥助』にどのように書かれていたかを確認する。 イエズス会士は清貧の誓いを立てて奴隷制に反対しており、通常はアフリカ人を伴うことはなかったからだ。ポルトガルやアジアのほかの地域から来た貿易商たち――宣教師とは異なる行動原理を持つ外国人たち――がアフリカ人を伴うことはあったが、この当時は貿易商が九州沿岸にある港から離れることは滅多になかった。したがって弥助は内陸部に赴くたびに、大騒ぎを引き起こした。地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった。 『信長と弥助』p.16 強調は引用者 弥助に関する記述は史料にないのでロックリーの創作「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行
2024/07/22 リンク