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「愛されなければ生きていけないから、愛されるために『自分』すら手放す」という話には、どこにも救いがない。|うさる
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「愛されなければ生きていけないから、愛されるために『自分』すら手放す」という話には、どこにも救いがない。|うさる
彼女たちの「強い女」に対する欲求というか依存は凄い。 ありとあらゆる手続きや電話を自分でしなくなっ... 彼女たちの「強い女」に対する欲求というか依存は凄い。 ありとあらゆる手続きや電話を自分でしなくなっていくし、別にこっちの専門じゃないことでも平気で投げてくる。 (上記増田より引用/太字は引用者) これを読んで、以前自作小説に来た感想について考えたことを思い出した。 簡単に説明すると「女の子×男の娘」のカップリングにおいて、それぞれ性規範を逆にして抑圧した話を書いたら「女の子のほうが可哀想。男の娘はヨシヨシされていて狡い」(意訳)という感想がきたという話である。 女の子のほうは「お前は強いしその地位に生まれた責務もある。お前が判断して責任を負え」と絶えず言われ続ける(本人もその価値観を内面化している)男の娘のほうは容貌だけに価値を見出されて性的なモノ扱いされ続ける。 男の娘が置かれている「自分の行動の判断ができず人生をコントロールできない(有能力感がない)」という状況は自分にとっては、最も忌