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「見る」と「観察」の違い 考|shinshinohara
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「見る」と「観察」の違い 考|shinshinohara
私達は「見ているのに見えていない」ということがよく起きる。道端の石ころ(路傍の石)は目に入ってい... 私達は「見ているのに見えていない」ということがよく起きる。道端の石ころ(路傍の石)は目に入っていても気にもとめない。自分の大切な人の変化も、目の前にいるのだから見えているはずなのに気づかない。そんなことがいくらでもある。 ナイチンゲールに次の言葉がある。 『経験をもたらすのは観察だけなのである。観察をしない女性が、50年あるいは60年病人のそばで過ごしたとしても、決して賢い人間にはならないであろう。』 看護師になるには、「見てる」だけではダメで、観察することが大切だと言っているのだろう。 職場でも学校でも「よく見ろ!」と叱られることがある。しかしただ「見てる」だけでは何も気づかなかったりする。見たいものだけが見えて、見えないものは見えないまま。たぶんこれは「観察」と違うのだろう。 で、仕方がないから、多くの場合、なるべくたくさんの「見てる」で済ます。世間ではこう言われている、という話を聞き