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福沢諭吉『学問のすゝめ』「信に偽りあり、疑いに真理あり」について考える|田中畔道|歴史ライター
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福沢諭吉『学問のすゝめ』「信に偽りあり、疑いに真理あり」について考える|田中畔道|歴史ライター
福沢諭吉の『学問のすゝめ』に、こんなおもしろい言葉があります。 信の世界に偽詐(ぎさ)多く、疑いの... 福沢諭吉の『学問のすゝめ』に、こんなおもしろい言葉があります。 信の世界に偽詐(ぎさ)多く、疑いの世界に真理多し 訳すると「信じているものの中には偽りが多く、疑い深いものの中には真理が多い」になるかと思います。 福沢諭吉は冒頭のこの言葉に続けて、以下のような内容のことも言っています。 世間が信じているものといえば、人の噂、呪術や祈祷、八卦卜占、怪しい民間療法などだが、これらはたいてい真偽のあやしいものばかりである。 対して疑いからはじまったものの中には、ガリレオの地動説やニュートンの万有引力の法則、ワットの蒸気機関の発明など、真理を解き明かして文明の進歩に著しく貢献したものが少なくないー。 だから、「信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し」というわけです。 確かに、信じているものがすべて真実であるとも正しいとも言えないし、逆に常識や真実と信じられているものが実は間違いだった、という例はい