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シェアの意味が逆転した世界で生きていく。|西村 治久《ソーシャルな隠居》
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シェアの意味が逆転した世界で生きていく。|西村 治久《ソーシャルな隠居》
ここ数年で《シェア》という言葉の意味が逆転したように思います。 それまでシェアといえばマーケットシ... ここ数年で《シェア》という言葉の意味が逆転したように思います。 それまでシェアといえばマーケットシェア(市場占有率)を意味するところが多かった気がします。でも最近では『分かち合う』とか『共有』の意味でシェアを使うほうが多いのではないでしょうか。 ひとつの市場をどれだけ多く独占するかというシェア。 ひとつの事柄を分かち合い、共有するというシェア。 ふたつは両極端。まさにシェアの意味がここ数年で逆転しています。そんな激動の世界で、どう生きていくのか。その変化に遅れて淘汰されないよう、自らも対応していく必要があるんじゃないかと思います。 個人的には、2011年に会社員としての生活を思いきって辞め、それまでのつきあいや所有物を限りなくゼロに近いほど断ち、ここ数年で全国を旅しました。 自分の目で見て、感じたものを信じて。自らの興味の赴くままに出会った偶発的な出来事とご縁を頼りに。そして、この数年の集