新型コロナウイルスに関する情報は、厚生労働省の情報発信サイトを参考にしてください。情報を見る
エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
志村けん、藤浪、塗り絵、五輪延期。コロナ一色の中に見えた各紙の手腕。(プチ鹿島)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
志村けん、藤浪、塗り絵、五輪延期。コロナ一色の中に見えた各紙の手腕。(プチ鹿島)
新型コロナウイルスの影響を伝えた3月のスポーツ各紙。塗り絵を一面に掲載するなど、思考を凝らした紙面... 新型コロナウイルスの影響を伝えた3月のスポーツ各紙。塗り絵を一面に掲載するなど、思考を凝らした紙面づくりも見られた。 3月最後の日。スポーツ新聞の一面はすべて志村けんさんだった。 新聞らしい振り返りをしていたのは日刊スポーツの志村さんの足跡記事。荒井注さんに代わってドリフの正式メンバーに抜てきされた日、1974年(昭和49)3月30日の『8時だョ!全員集合』翌日の記事を紹介していた。 《翌31日付の日刊スポーツは「印象が薄い新参・志村」と報じている。当時の「全員集合」は高視聴率のおばけ番組で、TBSが民放の雄として存在しているのは、同番組とドラマ「ありがとう」のおかげと解説。荒井さんの降板を機に、ライバル局のプロデューサーによる視聴率は落ちるとの見方を紹介している。》 志村さんは最初から順風満帆ではなかった。『東村山音頭』のバカ受けまで2年あまりかかった。江戸川大教授でお笑い評論家の西条昇