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「棋士になりたい」と大手企業を退職…アマから編入試験に挑戦、小山怜央さんに漂う“藤井聡太五冠のような寄せ”と人間性とは(田丸昇)
小山さんは2008年8月の15歳のとき、縁あって紹介された北島忠雄七段の門下で、関東の奨励会入会試験を6... 小山さんは2008年8月の15歳のとき、縁あって紹介された北島忠雄七段の門下で、関東の奨励会入会試験を6級で受けた。結果は受験者同士で対戦する1次試験で、2勝3敗と負け越して不合格となった。ちなみに、同年の奨励会入会者で後年に棋士になったのは、増田康宏六段、佐々木大地七段、古森悠太五段、黒田尭之五段である。 小山さんは釜石高校1年のとき、朝日アマ名人戦・北東北ブロックの代表選手として全国大会に出場した。そしてベスト8に勝ち進んだ。その実績によって、プロ公式戦の朝日杯将棋オープン戦への出場資格を初めて得た。2010年に18歳の菅井竜也四段(現八段)と対戦したが、若手精鋭の実力を思い知らされた。 2011年3月11日、東日本大震災が起きて東北地方などに甚大な被害をもたらした。釜石市の海岸沿いにある小山さんの実家は津波で流され、家族は仮設住宅での暮らしを余儀なくされた。それでも小山さんは、パソコ
2022/12/13 リンク