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■ - 一杯の茶
京都には歴史と文化の宝庫だと言われる、長い歴史が日本的という文化を育んだことは間違いない、さらに... 京都には歴史と文化の宝庫だと言われる、長い歴史が日本的という文化を育んだことは間違いない、さらに京都の文化を支えてきたのは何か、やはり町家だろう。 京都の文化とは町家の文化と言っても過言出はないかもしれない、「数寄町家・文化研究/上田篤:鹿島出版会」によると、京都の文化を育み、その成熟を促す役割を演じた場所こそ、町家の奥座敷だと言っている。 上田氏によれば、京都の文化を支えてきたのは、実は町家の奥座敷を活動の場としていた分限者・能衆と呼ばれた旦那衆だという。 分限者とは家業は番頭に任せ、自分は悠々遊んでいる旦那衆のこと、能衆とはもはや家職も店もなく、先祖伝来の家作や田畑の上がりで生計を立て、茶の湯や花、名物の道具集めに世の憂さを忘れると言ううらやましい身分の旦那衆のことで、彼らは昼下がりから奥座敷で文化の担い手として、三味線等の芸事にいそしみ、夜になると着替えて、町に繰り出す。 つまり、京