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国民を「ないがしろ」にする政府を許してはならない(布施祐仁)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
いまだ癒えぬ沖縄戦の傷 沖縄県は2015年6月23日、「慰霊の日」を迎えた。70年目のこの日、沖縄守備軍の... いまだ癒えぬ沖縄戦の傷 沖縄県は2015年6月23日、「慰霊の日」を迎えた。70年目のこの日、沖縄守備軍の牛島満司令官やその参謀らが自決し、沖縄戦における旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされている。しかし、残った兵士たちはその後も米軍との戦闘を続行した。牛島中将が自決前、全将兵に対し「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と命令したからだ。その結果、6月23日以降も、兵士だけではなく多くの住民が戦闘の巻き添えになり犠牲となった。 この日、琉球新報が配信した一本の記事が、目に留まった。 元学徒兵の85歳の男性が糸満市摩文仁を訪ね、70年前に所属部隊が壕に避難していた同地区の住民を追い出したことを謝罪したという記事だった。この男性自身は住民の追い出しに加わっていなかったが、「(所属部隊のこの行為が)戦後、ずっと心に引っ掛かっていた。いつかおわびしたかった」と語り、頭を下げたという。 沖縄県民の実
2015/07/10 リンク