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なぜ彦摩呂の「○○の宝石箱や~」は異常にウケたのか…言語学者が考えるメタファーの力 「お肉のIT革命」「麺の反抗期」が流行らなかったのはなぜか
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なぜ彦摩呂の「○○の宝石箱や~」は異常にウケたのか…言語学者が考えるメタファーの力 「お肉のIT革命」「麺の反抗期」が流行らなかったのはなぜか
刺身の輝きを宝石の輝きに見たてる、まさに正統派メタファー(隠喩)だ。「『食ベ物を他の物に喩えたら... 刺身の輝きを宝石の輝きに見たてる、まさに正統派メタファー(隠喩)だ。「『食ベ物を他の物に喩えたら(オンエアで)カットやな』と思っていた」(デイリースポーツオンライン「彦摩呂、名言『宝石箱や~』誕生秘話を明かす『悩んでいる時期』に」)と彦摩呂は言うが、味を他の「もの」に喩えるのは、言語の世界ではごく自然なことである。 私たちにとって、味はきわめてとらえどころがない。「食材」やその結果としての「料理」は見ることもでき、触ることもできる。だが「味」は見えない。もちろん触ることもできない。 こういう抽象的な対象について語るときに欠かせない便利なツールが、メタファーだ。あまりにも日常的に定着しているために気づかないだけで、味は比喩的には「もの」として扱われるといっていい。メタファーのもっとも素朴で根幹的な見たてである。 本稿では、味が比喩的にどのような「もの」として扱われるかを探りたい。「○○宝石箱