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同じ皇室でも思想や行動がまったく違う…天皇家と秋篠宮家の"兄弟確執"が解消されない根本原因 このままでは「令和版・壬申の乱」が起きかねない
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同じ皇室でも思想や行動がまったく違う…天皇家と秋篠宮家の"兄弟確執"が解消されない根本原因 このままでは「令和版・壬申の乱」が起きかねない
壬申の乱は、672年、兄・天智天皇の後継を望んでいた同母弟・大海人皇子が、天智天皇崩御後、子どもの大... 壬申の乱は、672年、兄・天智天皇の後継を望んでいた同母弟・大海人皇子が、天智天皇崩御後、子どもの大友皇子が弘文天皇に即位したことを恨み、兵を挙げ、自害に追い込んだといわれる内乱である。 時代背景も人心も違う現代で、このようなことは起こりえないだろうが、似たような構図が天皇と秋篠宮にあることは否定できないのではないか。 天皇家と秋篠宮家との関係を年代順に見てみたい。 萌芽は2004年だった。皇太子(当時)が会見で、「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と発言した。「浩宮の乱」とまでいわれて騒ぎになった。 「壬申の乱の勃発を招きかねません」 秋篠宮はそのことについて、「記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」と苦言を呈した。 秋篠宮のいい分に利ありとメディアは挙こぞって秋